今村泰典ビウエラ・リサイタル

撥弦楽器において世界的に活躍する古楽器演奏の第一人者
●10/6(土)19:00開演
福岡・大名MKホール
●(講習会)10/7(日)13:00開講
福岡・大名MKホール


今村泰典先生について(近藤史明)
今村泰典先生は私がフランス留学中にリュート(テオルボ)、通奏低音、室内楽などを師事した先生です。 そもそも私がフランスに留学する事となった動機の一つが今村先生に師事することでした。 今村先生はスイスに住みながらフランス、ドイツの音楽教育機関で教授を務められており、ソリスト、通奏低音奏者としてヨーロッパ各地で演奏していらっしゃいます。 録音は室内楽などを含めるとすでに100枚以上録音されており、例えばメゾ・ソプラノのチェチリア・バルトリ女史や指揮者のマーク・ミンコフスキ氏らとの録音は最大の賛辞をもってヨーロッパ中の音楽情報誌などで紹介されています。ソロのCDでは、2006年にヴァイスの作品集がフランスの「ディアパソン誌」の「ディアパソン・ドール(金賞)」に輝くなど、受賞歴も数多いのです。 10月6日の演奏会は、滅多に聴くことのできないビウエラの神秘的な響きとその魅力的な作品達に触れるまたとない機会です。しかもそれは世界最高の名手による演奏なのです・・・この機会をお聴き逃しなく!



ビウエラについて (解説 今村泰典)

ビウエラ はルネサンス時代のギターに似た6コースの複弦を持つ撥弦楽器でイベリア半島、イタリアの一部と中南米で用いられた。正しくは「ビウエラ・デ・マーノ(手で弾かれるビウエラ)」といい、「ビウエラ・デ・アルコ(弓で弾かれるビウエラ)」と区別される。擦弦楽器であるビウエラ・デ・アルコはヴィオラ・ダ・ガンバの祖先と言える。

スペイン語の「ビウエラ vihuela」は、「ヴィオラ viola」と同義 語であり、ビウエラ(またはヴィオラ)は中世のフィドル fiddle (ビエール Vielle)が祖先と考えられる。15世紀のアラゴン王国において、ビウエラ Vihuela に関する記述がすでに見られ、16世紀になりルイス・ミランが1536年に曲集 Libro de musica de vihuela de mano intitulado El maestro を出版する。

この曲集にはビウエラを弾くオルフェウス(「ギリシア神話の音楽の神」であり、この曲集ではビウエラの発明者としてたたえられる)の挿し絵(左上参照)がある。また、ミゲル・デ・フエンリャーナのビウエラ曲集のタイトルは Orphenica lyra(オルフェウスのリラ)となっていることから、当時スペイン周辺ではビウエラはオルフェウスの楽器、リラと同一視され、重要な楽器と見なされていたであろう。それ以来、多くの優れたビウエラ曲集が出版され、16世紀にはビウエラが隆盛を極め、スペイン、ポルトガルそして南イタリアのシチリア、ナポリまた中南米でもこの楽器がかなり用いられた事が文献上わかる。

出版されている楽譜や文献などによって、「ビウエラ」という楽器が存在し、さかんに演奏されていたことは確かであるが、実際「ビウエラ」とはどのような楽器であったのかは良く分かっていない。 その理由は、当時の「ビウエラ」(と呼ばれるような形を持った楽器)で現存する楽器が世界にたった 3つしかないからである。そのうち2つはフランスの博物館にあり、残りの1つはエクアドルで発見されたものであるが、これらの楽器がボディの形状や弦長などにおいて、それぞれ互いに異なる特徴を備えていることから、どれが一般的な「ビウエラ」かと定義づけるのが困難な状況である。

3つのオリジナル楽器および文献や図像から、ビウエラの形状および構造は同時代のギター(今日ではルネッサンス・ギターと呼ばれ、通常4コースの楽器)と似ている。しかしながら弦の数や調弦が全く異なる為、両者は全く別の楽器であり、ビウエラはギターの祖先ではありえない。ギターの曲はビウエラでは演奏できないし、また逆も然りである。逆に、同時代のリュート(6コースのルネッサンス・リュート)とビウエラは弦の数も調弦も全く同じである為、ビウエラの曲をリュートでまたリュートの曲もビウエラで演奏できる。

ところで16世紀のイベリア半島ではリュートの為に作曲された形跡がない為、リュートは演奏されなかった様に見受けられる。仮説であるがリュートは中東起源であり、イベリア半島では「ムーア人(またはモーロ人ともいう、イベリア半島のイスラム人)の楽器」と見なされていた為、カトリック色の大変濃いキリスト教国のスペインやポルトガルでは敢えてリュートを演奏せずにビウエラを好んで演奏したのではなかろうか。「ビウエラの曲はリュートで演奏するべからず」と書いてある文献があるのも、高貴なオルフェウスの楽器、ビウエラの曲を異邦人、イスラム人の楽器リュートで汚されたくないという頑ななまでにキリスト教色が滲み出ている所以であろう。

因みにビウエラは宣教師達によって16世紀日本に持って来られた可能性がある。というのは南蛮画(右の絵参照)でビウエラを演奏している絵が残っているからである。ひょっとして安土桃山時代日本人が宣教師から手ほどきを受けてビウエラを演奏していたかもしれない

スペインの黄金時代ではビウエラが占める位置はとても重要で、今日のピアノの役割を果たしていた。舞曲、ファンタジーなどのソロ曲に加え、シャンソン(カンシオン)をビウエラのソロ曲として編曲したり、シャンソンの伴奏楽器としても多く用いられた

当時のファンタジーには2つのタイプがある。一つは厳格な模倣様式(フーガの原型となる)で書かれたタイプでもう一つは即興的に演奏される自由なプレリュード風のタイプである。ミランのファンタジーは後者のタイプがほとんどである。また当時の舞曲にはパバーナ、ガリヤルダ、パッサメッツォやロマネスカなどがあり、パッサメッツォはさらにパッサメッツォ・アンティコとパッサメッツォ・モデルノに分けられる。「牛を見張れ見張れによる変奏曲」は「ロマネスカ」の和声進行で書かれており、同じロマネスカに有名なグリーンスリーブズが挙げられる(下記の楽譜参照)。スペイン人のディエゴ・オルティスが1553年にローマで出版した「Tratado de glosas sobre clausulas y otros generos de puntos en la musica de violones」にもパッサメッツォやロマネスカの和声進行で書かれたたくさんレセルカーダ(リチェルカーレ)がある。


今回はシャンソンから編曲されたビウエラのソロ曲が数曲取り上げられている。まずは、今日ギターでもよく演奏される有名なルイス・デ・ナルバエスのGuardame las vacas「牛を見張れによる変奏曲」(1538) やルイス・ベネハス・デ・エネストローザが編纂したCinco diferencias sobre Las Vacas「牛を見張れによる5つの変奏曲」(1557) などがある。この曲はフランシスコ・サリーナスFrancisco Salinas(1513-1590)の抒情詩にメロディーが付けられ、当時とても流行った歌で、色々な作曲家がこれを元に作曲している。歌詞の内容は以下の通りである。

- Guardame las vacas,
Carillejo, y besart'he.
- Besame tu a mi y
yo te las guardare.

愛しい人よ、私の牛を世話してください。
そうしたら口づけをしてあげましょう
さもなくば、あなたが私に口づけしてください。
私が貴方にかわって牛の世話をするわ。


詩の口述者(主人公)になっている女性はGilという男性に身を焦がす愛情を抱いていますが、それを伝えられずにいます。そしてある日決心してGilのもとに自分の牛をつれて行き、彼にこう言います「私の牛の世話をしてくれたらキスしてあげるわ。でも嫌なら、あなたが私に口づけして。私自分で牛の世話をするわ(牛を牛舎に入れるから)。」 つまり、どの道Gilは 彼女にキスを求められているのです。この詩はそのままどんどん続き、彼女は「ねえ、こんなラッキーなお願いを女の子から受ける男なんてそうあるもんじゃないわよ。他のどの男だって喜ぶこの願いを受け取ってよ。(牛の世話が)嫌ならそれでもいいからそう言って。私自分でするから。だから私にキスして、、、」と まあ、スリスリと詰め寄ります。

また他に恋歌としては
Pues no me quereis hablar
貴方はもう私と口もきいてくれない

やコンデ・クラロス(クラロス伯爵)が挙げられる。このテーマもアロンソ・ムダーラ(1546)、ルイス・デ・ナルバエス(1538)、ルイス・ベネハス・デ・エネストローザ(1557)など色々な作曲家によって取り上げられていて、これはとても長いロマンスで色々なバージョンがあるがその一節のテキスト(下記の楽譜参照)は次の通りである。

Conde Claros con amores no podia reposar,
(恋焦がれて眠れないクラロス伯爵

「深夜はいとも長く、鶏が鳴く頃でもクラロス伯爵は愛のゆえに休めなかった。愛が彼につきまとい深いため息をいくつもつかせた。恋する娘は彼の心を落ち着かせない。夜が明け朝が来て伯爵は寝どこから跳ね起きる・・・」と、いつの時代も変わらない恋に悩む姿を歌っている曲。


更に、当時流行った叙事詩にPasseavase el rey moro(もの憂げにさすらうムーア人の王)
がある。これは15世紀のレコンキスタでグラナダが陥落し、スペインに征服され、7世紀も続いたイベリア征服が終わりを告げる頃。グラナダのムーア(モーロ)人の王が、町から追放されることを知って、これでこの美しい町をもう見ることができないのか、と悲しみながら歩きめぐっている時の歌である。